migugu2007

日頃から思っていること。

アマゾンで販売中の「聖書新世紀」の抜粋です。

祈りについて

たいていの場合、神様に参拝する時に使う言葉です。神社は、2礼2拍手1礼、ある宗教は2礼4拍手1礼です。少し緊張して敬虔な気持ちで、神々の在る「神殿」に対峙する。そして、礼をして手を打つ、その時あなたは何も思い浮かばないはずです。「無心」・その心を神々は受け取ります。やがて緊張が解けて、いろいろ「邪念」が浮かんでくる。それは人間の考えです。神々の「誠」ではありません。「百度参り」という言葉があります。「悟り」が得られるまで「無心」を届けましょう。

 

紀元前、紀元後

イエス・キリスト誕生前が「紀元前」であり、誕生後が「紀元後」と表されている。この境界は神々が付けた意味のある契約の証であった。紀元前624年が釈迦の誕生日であり、紀元後622年が、ムハマンド(マホメット)による、キリスト教の影響下にあるイスラム教の創始の年である。一方、日本の歴史も古く、今年が皇紀2682年であるから、神武天皇の日本建国が紀元前659年であることが分かる。3名の、宗教の創始者の時系列ははっきりした。いま世界はこの三つの宗教で成り立っている。境界の契約の証は、この三つの宗教で人々を導く事であった。しかしながら、それに失敗したことは誰の目にも明らかであろう。人々を導くことが出来るものは、もはや何もない。そして、この日本には数多くの神々が存在する。そして年一回の会議を、島根県出雲市出雲大社で開く。

2022年は、11月4日~11月10日であった。そこで決まったことは、境界の契約の証であった人間による統治を元の神々の手に委ねる事であった。2022年11月11日から「始世紀」が始まった。そして、2022年11月14日朝5時頃、虚空間に入った。紀元前も虚空間であり、神々の時代だった。神々と人間の共通の話題である神話が息づいていた。しかし紀元後それはすたれてしまった。それが誤りの始まりだったのかもしれないが、今となってはもはや手遅れであろう。そして、今また、虚空間に入り、神話の時代に戻ったのであるから、信じられない話が多くなってくるだろう。例えば、これから誕生する子供は神々の子供であり、数代を経て理想郷を創造するとか、近い将来では、子供たちの明るく楽しい社会、女性が真に活躍する社会、痛ましい事件のない社会が実現するのではあるまいか。