migugu2007

日頃から思っていること。

音楽についてこんなことを考えています。

音楽について
人間は胎児の頃から音は聞いているのだろうか? 生まれて初めて聞くのは人の話し声だったろう。それから、動物の鳴き声、足音、手の叩く音、滝の音、川のせせらぎ、波の音、とりわけ驚いたのは、雷鳴だったかもしれない。手で木の幹をたたいたのが棒に代わり、幹をくり抜いて、更に大きな音とし、リズムを取りながら叩き始めた。歓声が上がり始め、拍手、口笛、指笛、草笛も加わり次第にメロディが生まれたかもしれない。やがてくり抜いた木の幹を、乾燥させ、なめした動物の皮を、同じく動物の小さな骨で両端に貼り、ドラムの原型とした。草笛は、細い木の枝あるいは竹で吹き口を設け、反対向きの親指を除く、8 本の指で押さえられる8 個の孔で異なる音を出せるようにした。乾燥させた細い木の幹に動物の腸、或いは、なめした皮を、数本張り、これもまた異なる音を出せるようにした。これらは、多くの形に変化していった。現在、これらは楽器と言われる、演奏道具に進化している。国、地域による様々な特徴あるリズム、メロディが楽しめる。楽器形態による、様々な演奏、ソロ、デユエット、トリオ、カルテット等々、最終形態は、オーケストラとなるであろうか。オーケストラの音合わせは、木管楽器のラの音と聞く。このラの音に、各楽器を調律し、美しいハーモニーを奏でる。1600年から1750 年のバロック期と言われる時期の音楽は、神に捧げられた音楽のように思える。あくなき追及による、様々な美しい音楽、聞いていて、心に響く様である。様々な国、地域の音楽も心地よい。ジャズ、ラテン系の楽しい音楽、各地の伝統音楽、日本の雅楽、民謡、心をうたう歌謡曲、音楽は、音を楽しむように、できている。

 

音楽の変遷について
音楽史は中世音楽時代→ルネサンス時代→バロック音楽時代→古典派音楽時代→ロマン派音楽時代→印象派主義音楽時代→近代音楽時代と流れているようです。ここでは、バロック音楽時代と古典派音楽時代と近代音楽時代に付いて記述する。バロック音楽時代は、神に、捧げるために、ひたすら美しさを追求していた様に感じられる。王侯貴族のために書いたされる作品も、実は、神に捧げるためだったかもしれない。パヒェルベル然り、ヘンデル然り、ビヴァルディ然り、ヨハン・セバスティアン・バッハは忘れられない。音楽の美を追求した作曲家たちである。古典派音楽時代のヴォルフガング・アマデウス・モーツアルトは美を追求しながら、自己主張を音楽に込め始めた作曲家であろう。個性を発揮することはエネルギーが必要だったのだろう、若くして亡くなった。この時代以降、若くして亡くなる作曲家が多くなった。個性を、発揮することは、それだけ、大変な作業だった、のかもしれません。近代音楽は、抽象的過ぎて、意味不明です。不協和音の連続、とっぴな音、聞くに堪えない。それに比べ、エレキギターやシンセサイザー、電子ドラムが、未来的なイメージの心地よい音楽を奏でてくれる。多分、その座が逆転するのではあるまいか。


音について
音は、音波という縦波で、空気中を伝播する。密度が異なる為、水中ではあまり伝わらない。縦波は、一本の線が、縦にあり、間隔をあけて連なっているようである。縦に並んだ線の間隔の違いが、振動数の違いになる。間隔が狭い程、高い音になる。線の流れの力が「音圧」となる。「音圧」が大きい程、大きな音になる。音のこの性質が、音
の世界を作っている。雷のような大きな音、川のせせらぎのような小さな音、波の音、人間の声、美しい旋律を奏でる楽器、危険を知らせる音、このように、人間は様々な音に囲まれて生活している。また、美しい音出す代表のオーケストラは、様々な音色の、振動数、音圧の異なる楽器が、オーボェの「ラ」の音で調律され、共鳴し合い、美し
いハーモニー(調和)を奏でている。