migugu2007

日頃から思っていること。

現在ある宇宙の外を考えてみました。

外宇宙について
現在の論壇はどうしてもその存在を考えたくないようである。「無限の限りある空間」とか「トポロジー」なる空間を考えているようだ。しかしながら、一旦、空間を考えてしまったら、そこには「堺」が必要になることに気づいているのだろうか。つまり、「大宇宙」を想起したそこには「堺」があり「外宇宙」が存在してしまうのである。「堺」とは「二つを隔てる」ことである。我々は「大宇宙」のどこに存在しているか? もちろん大部分の人は「大宇宙の内部」と答えると思う。「大宇宙」を思うとき、風船をイメージするといい。風船の内部に我々が存在し「ある力」が働いて膨張していると考えるのである。本物の風船を膨らませるときどうするか? ゴムが境界となり内側と外界になる。内側に口から空気を、または水素ボンベから水素を入れる。何故膨らむか? 圧力があるからである。同じように「大宇宙」を構成するのは水素原子と相対して存在するヘリウム原子である。「外宇宙」の中に「地球ほどの塊」が現れる。「堺」ができる。内部に「光」、「物理定数」「数学の公式」その他あらゆることが決定され水素原子とヘリウム原子が「圧力」を持って吹き込まれ膨張を始めた。「圧力」の加圧はその時止まった。今、我々は「膨張」を見ているが、風船を放っておくとしなびるように「収縮」が訪れるだろう。エントロピーが無限に増大することはない。いつかは、熱的平衡が訪れるのである。それは、空間が閉じている証である。そして、「大宇宙」のその姿は既に決定している。認められないのは、我々がその姿を確認することが出来ないためと、脳が時間を残像としてしか認識できないためである。「大宇宙」の外側はどうなっているか? 当然、有限の「外宇宙」であり、「光」、「水素原子」、「ヘリウム原子」その他が満ち溢れ、その中で「大宇宙」が浮遊している。目を凝らしたなら、同じような「大宇宙」が多数臨めるだろう。

聖書新世紀

上が私の書いた「聖書新世紀」です。