migugu2007

日頃から思っていること。

神を信じられますかについて考えています。

 神にゆだねて

あなた方は、「神の様なもの」の存在が信じられますか?目に見えないものは信じられませんか?「心」も見えませんが、確かにあります。「神の様なもの」は全ての人々の「心」の中に存在します。「神の様なものは存在する」と強く意識しないと存在しません。個人個人の「心次第」なのです。その人の「心」ですから「奇跡」も起こせません。「天は自ら助くる者を助く」と言います。やはり自助努力は必要かと思います。「神の様なものを信じる」と言い聞かせると、起こること全てに「小さな奇跡」を感じられるようになります。結果良いかな、と思えるようになります。自らの「神の様なもの」の存在が感じられるのですから、もう孤独はありません。私が「優香」と名付けたように、「自らの神」に愛称を付けて、困ったとき、悩み、心配事、苦しい時、悲しい時、その名を読んで相談すればよいと思います。そして、体のほとんどをコントロールしている自らの「神の様なもの」に全てをゆだねて生きることもいいかも知れません。それでこそ「神の様なもの」と共にある、と言えます。

理想の政治体系をmigugu2007が考えました。

 参議院について

小学校5年生の頃の社会の授業で教えてもらった「参議院」は「衆議院」の上に位置する大変立派な議院だと思っていました。だが、実際は「衆議院」から上がってきた「法案」に対し、「否決」しても、再度「衆議院」で「賛成多数」なら「法案」が成立してしまう。「立法権」のない「参議院」がなぜ必要なのか?議員数248名、報酬2150万円+使途不明金3033万円、計5138万円これが248名で合計128億5384万円必要になる。年間これだけ国民の税金が使われます。何もしない人たちに年間5138万円も支払っています。国会議員になりたがる人が絶えないわけである。それに、3年毎に議員定数の半分を改選する選挙費用もある。とにかく、国民の税金は相当必要になっている。海外の両院制を見習って制定されたのであろうが、今となっては「無用の長物」であろう。しかしながら、憲法が廃止を許さない。現在、国会は憲法「9条」の改正などを議論しているが、これは国民にそっぽを向かれている。だから、憲法「42条」の改正も同時に議論して行けば国民に受け入れられるかもしれない。しかしながら、「衆議院」は「身内可愛さ」から動かないだろう。この様に、「議会制民主主義」は、すでに限界にきていると思える。どうすればいいのか?時間はかかるであろうが、町内会など人々の参加で自ら議事を作成することを学び、まず、市議会を市民自らの手で行い、自信をつけ、県議会を、そして、遂に国議を、行う。「直接民主制」が到来します。そう遠い未来で無い気がします。

・追記

現在、選挙の投票率も50%近辺です。この数字で決定される法案が「国民の総意」と言えるでしょうか?

 

原子モデルについて考えました。

地磁気について
地球には、北極をN極とし、南極をS極とした、地磁気が確認できます。何故、そうなっているかと思いますか?多分、海水中のFe(鉄)が導体となり、そして、北極の空に輝くオーロラがマイナスに帯電し、北極の海水が、プラスに帯電し、N極となります。そして、南極大陸は、マイナス帯電物質から成り、S極となって、地球の地磁気が完成するものと思います、その磁気力は、非常に大きいであろうことでしょう。そして、この地磁気を感知して、渡り鳥は、飛行しているようです。
磁気について
磁力は、不思議な力かと思います。磁力を持つ物資が磁石です。磁石は、導体である必要が有ります。何故かというと、電子が移動しなければならないからです。電子の移動には、先に記した地磁気が、関係します。北極のN極方向に、導体の一方端に電荷マイナスの電子が集まり、S極となります。従って、一本の導体の逆端は、プラス帯電し、N極となります。これで、一本の磁石が完成します。つまり、地磁気が磁石生成に必要なのだと思います。

中間子の存在は1935年湯川博士により存在が提唱され、その後実証されました。1×10−12秒と言う地上に存在しないため、発見は難しいかもしれませんが、未知の中間子も 発見されるでしょう。He原子にH原子が結合してLi原子となりますがここではベリリウム原子を
Fig-5に示します。立方体の電子が原子核の廻りを回転するのではなく、ボヤっと存在しているきがします。電子が存在する位置は、K殻(ガラ)、L殻、M殻、N殻、O殻、P殻、・・とありますが、それぞれに存在出来る電子の数が決まっています。2個、8個、18個、32個・・・です。
電子は、原子量0の結合体の外側の稜に確率的に存在していて一番外側の電子が他の原子と結合する。電子は、物質の電気的特性を決定している。電子が離れやすければ導体になります。例えば、雷は雲の水分が摩擦により電子が遊離し、次第に集積しマイナスの塊となり、プラス帯電の地上へ閃光、雷鳴と共に地上に向かい、電流は地上から雲へ流れます。
一方、電子の結合の強い分子は、ダイヤモンドのような非常に硬い物質を生成します。

皆様、神は畏怖と共に死の恐怖を与え宗教と科学とお金でコントロールしています。はてなブログでmigugu2007を入力してください。

蛇(神)が人々に毛嫌いされることについて

思うに、人類の祖先とあの恐竜は、存在の時を同じくしていないでしょう。但し、小型の哺乳類としては、地上に同居していたでしょう。そのわずかな記憶が遺伝子に刻まれ、爬虫類に恐怖を抱くようになったのではないでしょうか?爬虫類の体温は、気温に依存しているようです。ですから、変温動物と呼ばれることもあるようです。蛇の目をじっと見つめたことがありますか?そこには、何の感情もない底知れない冷たさのあるガラスの穴のようなものがあるだけです。そしてあの不気味な地を這う細長い体そして色は、恐ろしさだけを感じてしまいます。

神々の刑罰について

神という概念は、四千年前の中国古代文明が発祥らしい。神は文字通り「ネ」が「申す」存在でしかない。何もできない存在でありながら、私法、私刑罰があるのです。正直、まっとうに生きている私が、何故か理不尽な「神」の私法による裁判の法廷に立たされ、最高刑罰である「追放刑」を受けてしまったのです。それも毎夜三回連続です。非常に過酷でした。よく耐えたと思います。正に、精神戦でした。「追放刑」とは何も持たず、裸足で居住地を離れ、いずれ飢え死にする刑です。古代に、ヤマトタケルノミコトが受けた刑です。そして、私は、一回目が靴に着衣で、二回目が裸足に着衣で、三回目が裸足にパンツ一枚で歩き回り、警察に保護されるという屈辱を味わったのです。その行為は「認知症」と言われるらしいです。結局その期間は10日余りに及び、私の精神はすっかり疲弊し誤ってベランダから転落し、背骨骨折、左手複雑骨折という重傷を負ってしまったのです。現在、その傷も癒えつつあり、ここに記録するものです。

療養記録について

先に記(しる)した「神の恐怖の私法、及び私刑」により精神が著しく疲弊した私は、背骨骨折と左腕複雑骨折で、救急車で近くの大学病院に搬送されました。ICUに4日くらい滞在しました。その間も悪魔にも等しい神の追及を受け続けていました。左手の薬指の結婚指輪を外されたことを覚えています。その後、病院棟7階の救急の観察室に移動して、手術までの4日間過ごしました。11月13日朝9時から手術になりました。手術の手続きをし、手術台に移り、酸素吸入のようなマウスピースくわえ、呼吸しているうちに意識がなくなりました。次に気づいたのは、廊下で車いすようなものに乗っている自分でした。6階の4人部屋に移動し、次の日の朝を迎えました。朝食は一人では食べられず介助を受けました。その後、ナースステーション近くの観察室に移り、リハビリが開始され、11月27日現在、入院から22日となります。左手のギブスは外れ、トイレにもいけるようになり、次は、リハビリ専門病院に転院予定です。いま、心に感じていることは、看護婦達の心の籠った優しい献身的な愛の姿です。

潮の満ち引きと人類の息吹について

地球は月という衛星を一個率いています。衛星の誕生は地球の誕生とほぼ同じではないでしょうか?ですから月の影響は、地球の生命と深く関係しているはずです。多分ですが、満潮時に生命が誕生し、引き潮の時、死が訪れるのではないでしょうか?但し、それは、自然を深く意識した時ではないでしょうか?

 尊厳死について

先に記した「精神病院の実態」に示した約20名の寝たきりの人々を見ていて感じていたことは、介助の食事、排泄物はおむつ、介助の入浴ですべて看護師任せである。そのあまりの悲惨さに、つい尊厳死を考えてしまった。「尊厳死(death with dignity)」とは、人間が人間として「死」に尊厳(dignity)を保って臨むことである。インフォームドコンセント(医師と患者との十分な情報を得たうえでの合意)があることも必要である。すべてを他人任せの介助を受け、何のために生きるかの判断ができなくなる前に、「尊厳死」を考えることも必要ではないだろうか?日本でもその為の法律の整備が絶対必要であると考える。

技術と感性について考えました。


「新しい技術を振り返る」について
「温故知新」という言葉があります。古きを、尋ねて新しきを知る、となります。古い技術を知 
り、新しい技術を感謝して使う、ということではないでしょうか?例えば、印刷です。海外ではグーテンベルクが凸版印刷つまり活字を並べて印刷する方法を発明しました。また日本では、版木に、鏡文字を掘り、炭を付け和紙にバレンで刷る方法で印刷をしていました。やがて、海外の印刷法が国内に入ってきましたが、簡易印刷法に「ガリ版」があり、学校教育で、活躍していました。パラフィンが塗布されたシートに鉄筆で文字を書きます。布を張った枠に鉄筆で書いたシートを張り付け、わら半紙を置いたベース台に静かに置き、ローラーにくすんだ紺のインクをつけて、シートを張り付けた枠のシートの上を回転しながら滑らせると、わら半紙に独特の色の文字やイラストが印刷されます。現在の輪転機による新聞などやグラビア印刷によるカラーの印刷物を見ると、ガリ版印刷の文字やイラストが、懐かしく思い出されます。


技術者に必要な感性について
現在は、能率主義で、標準化が叫ばれていますが、技術者には、感性が必要であると思っていま す。感性とは、何かを感じる心でないでしょうか?感性によって豊かな、充実した人生が送れると思っています。技術者たちは皆、実務で悩むと、窓の外の風景を眺めたり、星空を仰いだりしています。あの零式艦上戦闘機の設計で有名な「堀越二郎」氏は、美術館で絵画を鑑賞したりして、発想が生まれてくるまで待っていたそうです。私たちも豊かな感性を持って、仕事に従事したいものです。