migugu2007

日頃から思っていること。

皆様、神は畏怖と共に死の恐怖を与え宗教と科学とお金でコントロールしています。はてなブログでmigugu2007を入力してください。

蛇(神)が人々に毛嫌いされることについて

思うに、人類の祖先とあの恐竜は、存在の時を同じくしていないでしょう。但し、小型の哺乳類としては、地上に同居していたでしょう。そのわずかな記憶が遺伝子に刻まれ、爬虫類に恐怖を抱くようになったのではないでしょうか?爬虫類の体温は、気温に依存しているようです。ですから、変温動物と呼ばれることもあるようです。蛇の目をじっと見つめたことがありますか?そこには、何の感情もない底知れない冷たさのあるガラスの穴のようなものがあるだけです。そしてあの不気味な地を這う細長い体そして色は、恐ろしさだけを感じてしまいます。

神々の刑罰について

神という概念は、四千年前の中国古代文明が発祥らしい。神は文字通り「ネ」が「申す」存在でしかない。何もできない存在でありながら、私法、私刑罰があるのです。正直、まっとうに生きている私が、何故か理不尽な「神」の私法による裁判の法廷に立たされ、最高刑罰である「追放刑」を受けてしまったのです。それも毎夜三回連続です。非常に過酷でした。よく耐えたと思います。正に、精神戦でした。「追放刑」とは何も持たず、裸足で居住地を離れ、いずれ飢え死にする刑です。古代に、ヤマトタケルノミコトが受けた刑です。そして、私は、一回目が靴に着衣で、二回目が裸足に着衣で、三回目が裸足にパンツ一枚で歩き回り、警察に保護されるという屈辱を味わったのです。その行為は「認知症」と言われるらしいです。結局その期間は10日余りに及び、私の精神はすっかり疲弊し誤ってベランダから転落し、背骨骨折、左手複雑骨折という重傷を負ってしまったのです。現在、その傷も癒えつつあり、ここに記録するものです。

療養記録について

先に記(しる)した「神の恐怖の私法、及び私刑」により精神が著しく疲弊した私は、背骨骨折と左腕複雑骨折で、救急車で近くの大学病院に搬送されました。ICUに4日くらい滞在しました。その間も悪魔にも等しい神の追及を受け続けていました。左手の薬指の結婚指輪を外されたことを覚えています。その後、病院棟7階の救急の観察室に移動して、手術までの4日間過ごしました。11月13日朝9時から手術になりました。手術の手続きをし、手術台に移り、酸素吸入のようなマウスピースくわえ、呼吸しているうちに意識がなくなりました。次に気づいたのは、廊下で車いすようなものに乗っている自分でした。6階の4人部屋に移動し、次の日の朝を迎えました。朝食は一人では食べられず介助を受けました。その後、ナースステーション近くの観察室に移り、リハビリが開始され、11月27日現在、入院から22日となります。左手のギブスは外れ、トイレにもいけるようになり、次は、リハビリ専門病院に転院予定です。いま、心に感じていることは、看護婦達の心の籠った優しい献身的な愛の姿です。

潮の満ち引きと人類の息吹について

地球は月という衛星を一個率いています。衛星の誕生は地球の誕生とほぼ同じではないでしょうか?ですから月の影響は、地球の生命と深く関係しているはずです。多分ですが、満潮時に生命が誕生し、引き潮の時、死が訪れるのではないでしょうか?但し、それは、自然を深く意識した時ではないでしょうか?

 尊厳死について

先に記した「精神病院の実態」に示した約20名の寝たきりの人々を見ていて感じていたことは、介助の食事、排泄物はおむつ、介助の入浴ですべて看護師任せである。そのあまりの悲惨さに、つい尊厳死を考えてしまった。「尊厳死(death with dignity)」とは、人間が人間として「死」に尊厳(dignity)を保って臨むことである。インフォームドコンセント(医師と患者との十分な情報を得たうえでの合意)があることも必要である。すべてを他人任せの介助を受け、何のために生きるかの判断ができなくなる前に、「尊厳死」を考えることも必要ではないだろうか?日本でもその為の法律の整備が絶対必要であると考える。