migugu2007

日頃から思っていること。

故郷帰省について考えました。

故郷の変貌(時の流れの恐怖)
1969年春、両親は、故郷を離れた。18歳になる年だった。再び帰ったのは、32年後の2001年夏、両親と18歳になる息子と妻の5人だった。道路は、冬季のために道路改良され、様変わりして昔の様子はうかがえなくなっていた。街並みもすっかり変わり、家の数が少なく感じられた。道も距離が近く感じられた。しかも目印が無いのだ。僅かに、こんな感じだったか,しか思えない。それでもやっと親戚の家に着き、お昼の蕎麦を御馳走になる。お墓を移動するために還ったのだ。お墓のあった場所もすっかり代わっていて、よそのお墓に来てしまったようだ。この奥にも、部落があったはずなのに、その道もはっきりしない。故郷は余りにも変わり過ぎた、と思った。夜、近くにある温泉に宿泊し、ささやかな宴を行った。料理は、酸っぱいものが多かった。夏の暑さのせいだろう、と思った。お風呂は、3階にあり、お湯が、かけ流しだった。お湯はしょっぱく、太古海水らしい。次に訪れたのは、7年後の2008年、57歳の時だった。兄と親せきの法事のために訪れたのだ。親戚の家は、ちょっと高台にあり、曲がりくねった細い道を歩いて上ったものだが、その時は、舗装もされていない砂利道を車で登った。法事も終わり、関越道で帰った。その次は、3年後の2011年の春、60歳の時、妻と二人で訪れた。先の坂の途中の親戚の家は、入り口が分からなかった。小学校の入り口の坂は、辛うじて分かった。校舎、体育館は、現代風に様変わりしていた。懐かしい官領塚は、反対から降る坂道の片隅にあった。坂道の途中で、妻がフキノトウを少しつまんだ。そのまま、日帰り温泉につかり、六日町のスキー客のための宿泊施設で一泊して高速で帰った。その次が、11年後の2022年秋71歳になった時、妻と二人で紅葉を見に訪れた。しかし、小学校も廃校になり、入り口の坂道も見つからず、そのまま日帰り温泉につかり、帰ろうとして運転席で「これが最後の故郷訪問か。」と思っていた矢先、従妹が会いに来てくれた。そして、幼馴染の同級生の家でご馳走になった、沢庵の油いためが、懐かしく、おいしかった。でも、故郷までは、約300kmあるのでもう止めようかと思っている。しかしながら2023年7月初めから4回行ってしまった。